泉北ぐるりんスタンプラリー 21(4)陶器郷

2012年6月9日(土)


第21回泉北ぐるりんウォーキングスタンプラリー

陶器郷・西高野街道コース




いよいよ泉北高速鉄道の「泉北ぐるりん」も、最後の1コースとなった。梅雨入りして、蒸し暑い日だったが、張り切って本日のスタートになる泉ヶ丘駅に降り立った。

(1)泉ヶ丘駅~陶器郷


泉北ニュータウン地域は、須恵器と呼ばれる陶器が発祥した地と言われる。これまで何度も降り立った泉ヶ丘の駅前に、それを示す碑が建っていることに、初めて気付いた。




高倉寺。泉北ニュータウンの町名は、他のニュータウン同様に、古来の地名が無いため、何となくイメージの良い言葉を使って「XX台」と名付けられたものが多いようだけど、「高倉台」は、この高倉寺に由来する町名に間違いない。8世紀初頭に行基により建立された古刹だ。




高倉寺からの道を間違えて、2度も道を聞きながら、かなり遠回りして田園公園に辿りつく。こうして泉北ニュータウンにある様々な公園を巡っていると、植生が同じようなものになるのは当然だけど、それぞれが地形を生かした個性ある公園になっている。完成後30~40年が経ち、深みのある緑地になっている。



てなことを考えながら歩いていると、曲がるべきところをどんどん直進してしまった。暑さのせいか、今日は注意散漫だ。

スマホで現在地を確認して、何とか、スタンプポイントになっている陶荒田神社に到着。陶器郷の氏神様とのことだ。ここの神様の所掌分野ではないかもしれないが、明日の野球の試合の勝利を祈念。



神社にあった案内板によれば、陶器川周辺は、斜面林や寺社林、そして溜め池や農地など、水と緑が豊かな地域とのことだ。

ちょうど田植えの時期でもあり、水田に苗を運んでいると思われる作業車が見られた。




阿弥陀池から、陶器川が流れる方向に、津久野、浜寺方面を望む。


溜め池の傍の農道を行く。平坦な地道というのは、歩いていて実に気持ちがいい。




(2)西高野街道~萩原天神



岩室から西高野街道を北上する。ちっとも楽しくない道だ。まず悪い記憶がある。
以前参加した、2日続けて、30~40キロ歩くという、堺国際ツーデーマーチ大会の2日目、35キロのコースの約25キロ地点が、この西高野街道だった。既に初日で筋肉も足の裏もボロボロだったものだから、2日目の後半、疲労困憊の極みで、何度も止めようと思いながら歩いた道だ。





その後、堺から高野山までの西高野街道と高野街道を3日間で歩いた際にも感じたのだけど、旧街道らしい風情の残るところも僅かに残ってはいるものの、大抵は普通の雑然とした町並み。ウォーキングルートとしては到底お薦めできる道ではないと思うのだ。



そもそも道が狭いのに、車の通行量は多いし、対面通行だし、溝はあるし、歩道は無いし、歩きにくいこと、この上ない。

堺市が20年前に、ご丁寧に約300mおきに、「歴史のみち 西高野街道」といった立派な石碑を建てているけど、案内板も無いし、道の整備が進んでいるようにも見えない。こうなると石碑も、電柱と同様、邪魔でしかない。思い付きだけの石碑建設だったのか、あるいは整備計画が頓挫したのだろうか。





堺市といえば、6年前に政令指定都市に移行したが、よほど嬉しかったのか、記念のマンホールまで作っていた。南蛮船をモチーフにしたもののようだ。





通常のマンホールには、鳥(おそらく市の鳥である百舌あろう)が描かれている。

マンホールの制作も良いが、政令市に相応しい道づくりも頑張ってほしいものだ。財政難のなか、市内中心部はかなり観光客を呼べるだけの整備が行われたが、西高野街道はどうなるのだろうか。



初芝近くまで西高野街道を進み、大津池にやってきた。池の真ん中に小島があり、何百羽もの鳥の棲み家になっている。水鳥とカラスが同居しているようだ。



注意喚起の看板に「池主」とあるところを見ると、どうやら個人所有の池のようだ。鳥たちは池主によって集められたのか、あるいは自然に棲みついたのか・・・。



ゴールの南海高野線の萩原天神駅のそばの萩原神社。泣き相撲で有名な神社だが、その拝殿にあろうことか、電光掲示板が備え付けられている。「敬神」とか「萩原神社にようこそ」などの文字が流れている。


おまけ

ウォーキングを終えて、長居の陸上競技場に向かった。昨日に引き続いて二日連続の「日本陸上選手権大会」の観戦と応援。



スタンドには、大勢の陸上ファンが詰めかけていた。
職場の仲間が2人も優勝した。この勢いを借りて、明日の野球も勝利したいものだ。



まとめ


歩行距離   13.2km
所要時間   225分  (3時間15分)
歩数      19600歩 (しっかり17400歩)