まちなか福助人形展スタンプラリー (堺)

2013年1月20日(日)



昨年に続き、堺市が主催する「新春まちなか福助人形展スタンプラリー」に参加した。
足袋の老舗、福助が、創業の地である堺から東京に本社を移転する際、1700体の福助人形を堺市に寄贈したそうだ。この福助人形を市内の文化施設で展示している。



ところが、昨年と異なり、今年は堺市内だけでなく、通天閣までがスタンプポイントになっている。共に縁起の良い、ビリケンと福助のコラボなんだそうだ。



昨年、キン肉マンスタンプラリーでは堺の浜寺から、通天閣に向けて歩いたが、今回はその時の逆コースを行くことになる。総距離20kmの結構ハードなウォーキングになる。

新世界には、今もキン肉マンのイラストやら人形やらが溢れている。



さあ、気合を入れて、まずは40年振りに通天閣に昇るところからスタート。って思ったら、何と45分待ち! まだ午前中だというのに、何という人気スポットになったんだ。



が、福助スタンプは、幸いなことに通天閣の1階に置いてあった。各スタンプポイントで、スタンプの色を変えるのは良いが、黄色はチョット厳しいんではないだろうか・・・。



堺に向かって、新世界を出発。山王から飛田本通商店街を一気に通り抜ける。ところが、阪堺線に沿って進むつもりが、勘違いして上町線方面に向ってしまった。西成区と阿倍野区の間の階段で、上町断層をよじ登る。



松虫まで来て、何でこんなところに来たんだろう、って気付いた。
松虫塚。後鳥羽上皇が寵愛した姉妹(松虫・鈴虫)が、上皇が土佐配流された後、京を出て、この地に住んだという。石碑は屋根付きだ。



大阪5低山のひとつ、帝塚山。 柵が廻らされ、中に入れないようになっている。少しくらい入場料払うから、入れて欲しいものだ。大阪の低山は、古墳系と残土系があるが、これは古墳だ。



適当に南に向かって、ジグザグで道を進んでいると、東粉浜小学校の傍の路地に、坂本龍馬も訪れたという土佐藩陣屋跡を発見。幕末に大阪湾からの黒船来襲に備えて陣屋を構えたところだ。ということは、当時はこの辺りが海岸だったということだろう。



土佐藩陣屋の発見に気を良くして、その後は、ひたすら路地を選んで進む。路地裏探検隊のようだ。いい加減に歩いていても、何か見つけることができる。これだから街歩きは止められない。



住吉大社に到着。立派な灯籠がたくさん立ち並んでいる。ほとんどは江戸時代のものだ。寄進者を見ると、その多くは、絞油とか、干魚とか、業界団体からのものが多い。



出発して2時間余り掛かって、やっと大和川を渡って、堺市に入る。カモメ?が橋の欄干で、羽を休めている。



第2スタンプポイントの清学院。もとは修験道のお寺だったそうだが、明治初期の修験禁止令の後も秘かに続けられたそうだ。同時に、ここでは、男女ほぼ同数の寺子屋が開かれていて、日本人で初めてチベットに入国を果たした河口慧海も、この清学院の出身だそうだ。

有料で入館するだけに、スタンプだけ押して帰るのも勿体ないので、1年振りに部屋も見学し、ボランティアの方のお話をゆっくり聞かせていただく。時間が掛かるが止むを得ない。



一般公開されている江戸初期の町屋「山口家住宅」でも、福助人形が沢山飾られていた。特に今年は、東北復興支援の思いを込めて、東北の福助が中心となっているそうだ。それにしても、様々な顔・形の福助があるものだ。



座敷には、このイベントのために、通天閣からやってきたという、黄金のビリケン像が飾られていた。台座には "THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE"とある。これって、ホントに黄金なんだろうか。舐めることができるほどの近さで、観察したが、よく判らない。



古い店が未だ残る旧紀州街道沿いに、小西行長の生家跡の碑がある。関ヶ原での戦いぶりのため、イマイチ評価が低いが、堺としては、もっと盛り上げるだけの価値のある大人物だと思うんだけれどねぇ・・・。文禄の役では秀吉に第一軍を任されたほどの武将なんだから。



堺市伝統産業館の2Fにある、刃物ミュージアム。堺の大小様々な刃物が所狭しと並んでいる。魚の包丁にしても、鮪用、鮭用、鰹用など、特殊な用途に応じたものがある。



JR堺市駅方面に向かう。大阪刑務所の高い塀が続いている。およそ5mくらいの高さだろうか。高校時代、この周囲をマラソンの練習で走ったものだが、あまり気持ちのいい場所ではなかった。当時と比べ、建物なども新しいものになって、スッキリしている。



JR堺市駅前のマンションの2~4Fに、堺市立文化館がある。自治体が都市開発の責任の一端を担うために何らかのかたちで入居するパターンだろう。

文化館の展示は、与謝野晶子とアルフォンス・ミュシャ。与謝野晶子は当然だが、なぜミュシャなんだろうか。ともに月刊明星で取り上げられていたらしいが、どうもしっくり来ない。しかし、よく知った人に言わせれば、ミュシャのコレクションとしては、国内随一の素晴らしいものらしい。



JR阪和線沿いの道を、百舌鳥に向けて南下する。これまで考えたことも無かったが、このあたりのJRは、切り通しのようになっている。全くの想像でしかないが、かつて鉄道は、勾配を抑えるために、丘を越す場合には掘削したのかもしれない。



大仙公園にやってきた。街灯の下部が、堺市の市章になっていることを発見した。何度もこの公園に来ている人でも、なかなか気付かないんじゃないだろうか。ちょっと嬉しい。



堺市立博物館の前にある千利休像。堺市のスタンプラリーのたびに、この博物館に入館している。今日はJAFのカードを持ってきたので、200円のところを160円。



百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録をアピールする模型が目を惹く。仁徳天皇陵と、クフ王のピラミッドと、秦の始皇帝陵の3大墳墓の大きさを比較している。



大仙公園内には、仁徳陵の陪塚が数多く存在するが、もっとこれらに焦点を当ててはどうだろうか。仁徳陵の100分の1ほどの大きさも無いだろうが、前方後円墳の仕組みがよく判る。



大仙公園内の博物館、図書館でのスタンプ押印を終え、堺東方面に戻る。戦国時代の豪商、呂宋助左衛門の銅像が、次のスタンプポイントになる市民会館の前にある。



堺市役所の前に、堺燈台を象った電話ボックスがあった。それほど新しいものではない。何度も通っている道なのに、これまで気付かなかった。



堺市役所、堺東観光案内所での押印を終え、全10ヶのスタンプ収集を達成。福助のストラップとシールを貰った。この週末はよく歩いた。





まとめ

歩行距離  20kmくらい
所用時間  380分 (6時間20分)  食事時間・見学時間を含む
歩数     31700歩 (しっかり 22600歩)