真田幸村クイズラリー(九度山)

2013年3月3日(日)



和歌山県の九度山で、真田幸村クイズラリーが始まっている。チェックポイントは、昨年とほとんど変っていない。ところが、スタンプラリーだったものが、何故か今年はクイズラリーになっている。スタンプラリーストとしては、ちょっと寂しい。



高野山の麓にある九度山は、2000の兵力で、関ヶ原に向かう38000の徳川軍を敢然と迎え討ち、信州上田を守り抜いた真田昌幸、幸村父子が、家康に蟄居させられたところ。



南海九度山駅の駅前に、真田十勇士のひとり、海野六郎の顔出しパネルが設置されている。昨年の真田十勇士のイラストは可愛いキャラクターだったが、今年の十勇士は、さらに凄みを感じさせない草食系男子風の雰囲気になっていた・・・。戦国鍋TVでも、真田十勇士は出てきそうで出てこない。キャラ設定が難しいのかなぁ・・・。



この顔出しパネルの裏に、クイズがある。う~ん、かなり簡単だ・・・。しかも、「か・き・く・け・こ」の5択となっては、間違いようが無い。九度山町内の11ヶ所に設置されたクイズポイントで1文字ずつ集めて、ひとつの文章を作るのだ。



九度山の町中に入る。この町の最大のウリは、「真田」と「柿」。九度山のメインストリートともいえる、町中の旧道は「真田のみち」と命名されている。



このメインストリートの街灯は、柿の形をしている。街灯の下部がオレンジ色に塗られているが、夜になると、より柿らしい色合いで街を照らしているのだろう。



真田の六文銭も、街のあちこちに見られる。まるで町章のようだ。



商店街を進むと、米金と書かれた腹掛けを付けた金太郎像がある。「米金の金時」と呼ばれる、2mほどもある陶器像だ。石切の参道にでもありそうな、ディープな雰囲気だが、100年ほど前に制作された九度山焼だそうだ。

それにしても、米金とは何だろう?この像は、何のためにここに置かれたのだろう? 建物は商家風なので、米屋だと思っていたが、違うかもしれない。「米金医院」という古い表札があるのを発見したが、それでは、この金太郎は医院のイメージキャラクターだったんだろうか?



噂には聞いていたが、「移動コンビニ」を初めて見つけた。 この商店街には、食品や日用品を扱うお店が少ないので、遠出が難しいお年寄りなどには重宝されるんだと思う。



丹生川を渡って、西に向かう。ちょうど丹生川が紀ノ川に合流するところだ。この丹生川の上流で、4年前に滑落事故を起こして4ヶ月も入院することになったことを思い出す。あらためて、今こうして元気に歩けていることを有難いと感じる。



慈尊院。女人禁制の高野山にいた弘法大師が、はるばる四国からやって来た御母堂に逢うため、この地まで9回も下山してきたので、この地が九度山と呼ばれるようになったと聞く。女人高野のためか、子授けや乳癌治癒を願っての乳房型絵馬が多く奉納されている。



折り返し点となる紙遊苑がある勝利寺。仁王門に草鞋がたくさん吊られている。いつまでも元気に歩けるように、ということだろうか。



草鞋の願掛けと関係あるのか、無いのかは不明だが、この勝利寺への階段の急なこと、半端ではない。特に下りは、いかに足腰が頑強でも、手すりが無いと、怖くて歩けるものではない。



紙遊苑で、チェックポイントのスタンプを押す。六文銭のスタンプだ。やはりクイズだけだと、答を書き写して、1人で何枚も応募する人が出てくるからだろう。といっても、1人で何枚も台紙を持って、このスタンプを押すと同じことなんだけどね。




この勝利寺のあたりが、高野山に上る町石道と呼ばれる古道になっている。以前、途中まで上ったが、暑くて、しんどくて、途中で諦めた。真夏だったせいもあるだろうが、高野街道を行くよりも何倍もキツいように思えた。



勝利寺の近くの広場に、100人ほどの人が集まっていた。見知らぬおばさんが、「これから餅撒きがある」と誘ってくれた。よそ者が参加して良いものかと躊躇したが、面白そうなので、後ろの方で見物することにした。



皆、スーパーのビニール袋を持っている。餅を撒く段になると、皆座り込んで待つ。どういう仕組みなのか判らないが、見よう見まねで、リュックからビニール袋を取りだして、皆の後ろの方で座り込む。声を掛けられてから、15分経って、ようやく餅撒きが始まった。

2つ3つ餅を拾えればいい、と思っていたのに、なんと25コもゲットしてしまった。決して奪い取ったりしていないぞ。凄い数の餅が撒かれたのだ。スナック菓子も撒かれた。後ろの方に転がってくるのを拾っただけだ。100コくらい取った人も多かったのではないだろうか。



餅のおかげでリュックは急に重くなったが、気分が悪かろうはずはなく、足取りは軽く、復路のために残しておいた真田庵を訪れる。昌幸・幸村の父子が隠棲していたところと伝わる。今は善名称寺という寺院になっているが、九度山で亡くなった真田昌幸の墓所がある。



真田庵からさほど遠くないところにある「真田の抜け穴」。真田庵から、この抜け穴を通って幸村が脱出して大阪城に入ったとの伝承があるが、実のところ、4世紀の古墳だそうだ。



クイズラリーの参加賞のクジを引いて当たったのは、ピンクの「缶」。描かれているのは、何故か根津甚八。俳優の根津甚八の芸名の由来でもあるが、渋い人物だ。でも、できれば真田幸村か、十勇士のなかでもメジャーどころの猿飛佐助とか、霧隠才蔵、あるいはインパクトのある三好晴海入道とかが欲しかったなぁ・・・。



予定では、この後、入試シーズンに賑わう学文路天満宮に寄って、学文路駅まで歩いていくつもりだったけど、貰った餅と缶でリュックはパンパン。気分も満たされてしまった。九度山駅に戻って、あっさり帰宅。来年のイベントも楽しみだ。

まとめ

歩行距離   5kmくらい?
所用時間   115分 (餅撒き待ち時間等を含む)
歩数      9700歩 (しっかり 4800歩)