城下町えぇもんスタンプラリー(岸和田)

2013年3月23日(土)



岸和田で、城下町えぇもん再発見スタンプラリーが開催されている。昨年も同じ時期に来たところなんだけど、このところ、いまいち優れない体調に、丁度いい軽いウォーキングだ。



岸和田駅前の観光案内所で、台紙を貰ってスタート。岸和田城を中心に8ヶ所のスタンプポイントのうち3つスタンプを押せば良いことになっているが、目指すは当然、全8ヶ所制覇だ。



昨春、この町にやって来た時は、ちょうどNHKの朝ドラ「カーネーション」が終わった直後だったため、カーネーション関連の店や展示が多いことにビックリしたが、今も変わらない。商店街の洋装店には、主人公の女性が着ていた服のレプリカ?がズラリと展示されている。



もっとも、人出は昨年ほどではないようだ。番組のPRギャラリーのドアの前では、大きなネコが寝そべっていた。



「カーネーション」のロケ現場となった、「かじやまち」に向かう。



かじやまちの電信柱は鉤状になっている。だんじり曳航の邪魔にならないたまのの工夫と思ったが、調べてみると、どうやら、もともとあったアーケードの柱をそのまま転用した電柱だそうだ。

再来週に開催される、岸和田どんチャカ祭りのフラグが、早くも各電柱に吊られている。昨年に引き続き、この日もスタンプラリーが行われるようだ。



かつては、岸和田の中心部であった、欄干橋。珍しい形の擬宝珠(?)が付けられている。このあたりは、だんじり見物に絶好のポイントでもある。



以前から気になっていた、欄干橋近くの「ふぐ博物館」に立ち寄ってみたが、開いている気配がない。開館時間も掲示されていない。向かいにある老舗のふぐ料理店が所有している私設博物館なので、見せてもらうためには、どうやら事前予約が必要のようだ。




岸和田城にやってきた。岡部氏の石高は5万3千石だが、東側の堀端から見るこの城の姿は、10万石程度の大名の居城の風格を感じさせる。



一部の桜は開花しているが、多くは未だ蕾が膨らんだ程度。次の週末あたりが見頃になることだろう。



だんじり会館。う~ん、入館料600円かぁ・・・。エントランスにあるスタンプだけ押させていただいて退散。だんじり会館に面した道には、干支の置物が内蔵された灯籠が12基設置されている。



が、入城料300円を支払って、ついに岸和田城の天守閣に上った。おそらく過去10回以上は天守閣の下までは来ているのだが、入ったのは生まれて初めてのような気がする。もっとも覚悟はしていたものの、天守閣からの眺めは、ちょっと高いビルからの展望と変わらない・・・。



天守閣から見降ろした「八陣の庭」。大将軍の周囲に、天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎の各陣が配置されているらしい。諸葛孔明が呉の軍勢の進撃を防いだ「石兵八陣の計」の場面を思い出しながら、じっくり観察するが、どの石が、天なのか、虎なのか・・・。



スタンプラリーと同時開催されている、岸和田「地のもん」無料試食会。もとより期待はしていなかったが、引換券はとっくに無くなっていた。


 8ヶ所全てのスタンプを制覇して、記念品のシャープペンシルを貰った。よく見ると、先着100名には、「ええもん」が貰えたらしい。天気もいいし、無料試食会などもあって、多くの人がスタンプ台紙を持って歩いていた。きっと、あっという間に100名に達したに違いないが、「ええもん」って何だったんだろうか・・・。



岸和田巡りのついでに、昨年訪れたが、工事中だった蛸地蔵「天性寺」を再訪問したが、残念ながら、今年も未だ工事は続いていた。いつになったら完成するのだろう。



境内には、取り外された柱や梁が積まれ、その横では、大工さん達がたくさんの材木に囲まれて作業をしていた。完全木造の寺社を改修するのは、相当な手間と技術の要るもののようだ。



何となく体はダルいが、紀州街道に沿って、さらに貝塚まで南下する。貝塚といえば、紡績で有名だったところ。津田川を渡ったところに今も赤レンガの紡績工場が残っている。東洋の魔女と称えられたバレーボールで有名な日紡貝塚はなくなったが、旧ユニチカ体育館をナショナルトレセンとして再開させるなど、貝塚市は今も「バレーボールの町」を自負しているようだ。



紀州街道沿いに「忠臣捕鳥部萬墓并犬塚・・・」との碑を発見。知らない名前だ。スマホとは便利なもので、その場ですぐ調べることができる。物部守屋軍の勇士で、蘇我軍を相手に大奮戦したが、このあたりで壮絶な討死を遂げたらしい。主人の亡骸を守り続けた飼犬とともに、ここから3kmほどの所に葬られているらしい。



貝塚は寺内町だ。石山本願寺が信長と講和した後、和歌山の鷺森に移り、そして天正11~13年の2年間は、貝塚が本願寺の本拠地だったのだ。その後、大阪天満を経て、現在の京都に移ったのだ。旧寺内町エリアには今も古い住宅が立ち並ぶ。



貝塚御坊と呼ばれた、願泉寺を初めて訪問。折から貝塚市政施行70周年記念行事の一環として、願泉寺の公開説明会をしているという。強く誘われて本堂に入ると、広い本堂に集まった10人ほどを相手に市役所の職員さんが、熱心に説明し始めたところだった。こんなに人が少ないと帰れないぞ、と思ったが、堂内の装飾や美術品と、興味深い話に引き込まれてしまった。

 


願泉寺の鐘楼。もともとの鐘楼は太平洋戦争時の空襲で焼失したそうで、市内の廃寺から、鐘楼を移設したらしい。そのため、鐘と鐘楼のサイズが合っていない。本堂や表門は重要文化財だが、これらの価値を更に高めている鐘楼や築地塀もまた、(附)重要文化財となっている。(附)は「つけたり」と読むそうだ。



龍の彫り物がある表門。この寺には珍しい目隠塀がある。本堂に掲げられているの親鸞上人のお姿を直視しないようになどの理由が考えられるそうだ。目隠塀も(附)重要文化財だ。



その他、いろいろと大変興味深いお話を伺うことができた。1時間ほどがアッという間だった。
門前の灯籠には、蝋燭に火を灯す際に用いたと思われる階段が付いている。



紀州の殿様は参勤交代の際、1泊目が願泉寺、2泊目は、なんと枚方だそうだ。調べてみると、初日は37km、2日目は52kmもの行程になる。昔の人の健脚ぶりに比べ、わずか5kmばかりのウォーキングで結構疲れてしまうのは情けない限りだが、貝塚駅で今日はお終い。



水間鉄道の貝塚駅。住宅街を縫うように走り、踏切が多い路線のせいだろう。車両の下部に、線路上の障害物を跳ね飛ばす金具(排障器と呼ぶらしい)が取り付けられている。



まとめ


歩行距離  5km強
所用時間  約4時間  (見学、昼食、説明会受講などを含む)
歩数     12100歩 (しっかり たったの1500歩)