兵庫区探検スタンプラリー

2013年8月31日(土)


台風接近中の不安定な天気のなか、神戸市兵庫区のスタンプラリー「兵庫区探検」に出掛ける。パンフレットにやたらLet’s Go!!と書かれているのに、ちょっと引いてしまうが、「兵庫七福神めぐり」と、「魅力スポットめぐり」の2コースを、まとめてやっつけてやろう。



地下鉄御崎公園駅をスタートして、北西に向けて、兵庫区の探検を開始する。このあたりは、昨年の平清盛関係のスタンプラリーなどで、何度も来ているところなんだけど、初めてヴィッセル神戸の本拠地、ノエビアスタジアム神戸の中に入った。ここが最初のスタンプポイントだ。



スタジアムの前の路面には、トップアスリート達の足型が並べられている。サッカーの澤穂希や、陸上の朝原宜治などに交じって、落語家の桂文枝の足型などもある。



JR和田岬駅。和田岬線は三菱重工専用路線と言っても過言ではなく、運転は朝夕のみ。改札も券売機も無く、ホームに直接繋がる乗降口がいくつも設けられている。地下鉄が開通した後も、黒字路線だと聞くが、鉄橋が船の運航に支障があるとかで廃線論議が続いているらしい。



七福神めぐりコースのスタンプポイントになっている和田神社。阪神大震災ではかなりの被害を受けたが、徐々に修復は進んでいる。もっとも、鳥居から落下した額は、未だに地面に設置されたままになっている。



スタンプポイントではないが、和田神社に隣接した三石神社にもお参りする。神功皇后が新羅遠征の後、この地に上陸したと伝えられている。途中九州で産まれた幼い応神天皇を、武内宿禰が抱いている。300歳くらいまで生き、歴代の天皇を補佐したと言われる伝説の主だ。



兵庫七福神巡りをテーマにしたウォーキングイベントは、よく目にするが、どうやら常設のコースになっているようだ。各寺社の間に、看板が設置されている。もっとも、これに従えば次に到着できるほど、看板の数は多くない。看板にある「神戸みなもとの道」って何だろう。「みなもと」=「源氏」と読み取れるが、ここって、平家の本拠地だったところじゃぁないのか・・・。



七福神の寿老人が祀られているという薬仙寺。お寺に七福神?とも思うが、神仏習合の時代を経て、いろいろな経緯があるのだろう。ここには、平清盛が後白河法皇を幽閉したと言われる「萱の御所」の跡がある。わずか三間四方(9坪)の広さしか無かったという。



運河を北に渡って、清盛塚へ。清盛の墓とも伝わるが、移設の際、清盛が没して100年後の年号が見つかったと、この後訪問した岡方倶楽部で教えていただいた。どうやら、墓というより、慰霊碑か記念碑に近いものだったらしい。



清盛塚の向かいにある真光寺。ここは福禄寿。今回のスタンプラリー以外に、色紙用など、様々なスタンプが設置されている。



岡方倶楽部。何度もこの辺りには来ているが、初めて訪問する。昭和2年に建設された兵庫商人の社交場だったらしい。大恐慌で鈴木商店などが倒産する直前に建設され、戦災や震災の被害も免れるなど、奇跡の建物と呼ばれているそうだ。

スタンプを押すだけのつもりだったが、自由に見学できそうなので、入り口付近におられた係の男性に、見学の許可を頂戴すると、丁寧に案内していただいた。もっとも、3Fの展示場にあるパネルは清盛関連が中心。それでも、兵庫の港の歴史や、湊川の付け替え、源平合戦から湊川の戦い、さらには源平の系図に至るまで、40分ほども、懇切に教えていただいた。


兵庫大仏がある能福寺。ここは毘沙門天だそうだ。何だか、近場で七福神を揃えるために、無理やりこじつけているのでは、と疑いたくもなるが、信じてお参りしなければ、ご利益も無くなりそうだ。ここにも清盛塚があるが、真相は不明だ。岡方倶楽部の方によれば、木曽義仲に追われて西国に逃れた平家一族は、京にあった清盛の墓を暴かれることを恐れて、墓を隠したらしい。



これまで見逃していたが、兵庫大仏の前に、奈良・鎌倉と並ぶ三大佛の一つとして「公認」されたとの説明がある。偉いお坊さんがお認めになったらしいが、これって「公認」なんだろうか・・・。今もって、三大大仏を名乗るところは数多い。



布袋様をお祀りしている柳原天神社。各神社では、小さな七福神人形が200円で販売されている。全部集めている人も多そうだ。ここでは、色紙用のスタンプを押すには100円を賽銭箱に入れるように、との注意書がある。



JR神戸線のすぐ南にある柳原蛭子神社までやってきた。ここの神様は恵比寿様。これは納得だ。



柳原蛭子神社の真向いにある福海寺。大黒様のスタンプポイントになっている。門には、二両引の足利紋。大黒尊天と表札にあるが、「尊」は、足利尊氏なのだ。

平氏の本拠地であり、楠木正成が神格化されているこの地で、なぜ尊氏なのか、不思議に感じて、境内を見て回る。新田義貞軍に追われて西国に敗走した尊氏が、ここに逃げ込んで無事を得たという。その後尊氏が寄進して建立された寺なんだそうだ。



七福神コースのスタンプは全てゲット。兵庫区の魅力スポット巡りコースのスタンプポイントになっている、新開地にある神戸アートビレッジへ。



新開地のJR側入り口に、赤と青のチャップリンのモニュメントがあることは有名だが、北側にも黄色のチャップリンモニュメントがあることに、今更ながら気づく。何度も来ているんだけどなぁ・・・。



次のスタンプポイントは、湊川公園の北に隣接した、兵庫区役所。楠木正成像の向こうに、区役所庁舎が見える。上手い具合に、ちょうど飛び立った鳩を、正成の馬が追いかけているような写真が撮れた。


区役所に着いてみると、当然のことながら、正面玄関は閉鎖されている。しかし、嬉しいことに、土日祝日用のスタンプ設置場所の案内標識が貼り出されている。よくできたスタンプラリーというのは、このような参加者目線に立った気遣いが、しっかりなされている。



湊川の奥にある祇園神社を目指す。台風の影響で風が強い。普段と違って、気温の高さのせいで、風が吹いていることで、ますます不快になる。Tシャツは勿論、パンツまで汗ビッショリだ。途中湊山温泉の前を通る。銭湯風だし、入湯料は大人630円だが、とても歴史ある温泉だそうだ。以前から気になっていたこの温泉ににドップリ浸かりたいが、台風の接近が心配だ。先を急ごう。



祇園神社のスタンプ台に、スタンプが無い! 台風に備えて、境内にある飛びやすそうなものを片付けているところだった。社務所にて、無事スタンプを押させていただく。



最後のスタンプポイントは、水の科学博物館。内部の見学はせず、守衛所で、スタンプだけ押させていただいた。空の色は、ますます暗く、いつ豪雨になっても不思議ではない。急いで駅まで戻る。



兵庫区の魅力スポットの6つのスタンプ。デザインも良く、スタンプもカラフル。台紙にもともと刷り込まれているグレーの印影が、ちょっと濃すぎるようにも思えるが、なかなかの達成感を感じることができるスタンプだ。



こちらは、七福神めぐりのスタンプ。数が7つだけに、上段が窮屈になっているところが少し残念だが、小疵に過ぎない。最大の問題点は、このスタンプ台紙が、そのまま応募葉書になっているところ。応募したら、せっかくのスタンプが手元に残らないじゃぁないか。


 

まとめ


歩行距離   10km弱
所要時間   260分(4時間20分) 岡方倶楽部での長い案内時間や、昼食の時間を含む
歩数      19700歩 (しっかり9000歩)


今里~北浜 ブラブラ歩き

2013年8月26日(日) ②


布施から今里までの、商店街歩きは1時間ほどで終了。既に16時半だが、せっかく涼しいので、このまま終わるのは勿体ない。商店街の終点になっている今里には、暗越奈良街道が通っていて、堺屋太一の大きな説明看板が設置されている。「シルクロードの終わるところ」とは、なんとも大仰な表現だが、暗峠奈良街道を少し歩いてみよう。



商店街に並行する暗峠奈良街道を、東に5分ほど戻って、今里西ノ口公園へ。ここに謎めいたコンドル像があるのだ。以前、偶然これを発見した際は、何なのか見当が付かなかったのだが、後に、あれは百貨店の建物に掲げられていた石像だと聞いたので、もう一度見たくなったのだ。



高麗橋まで4.7km。ちょうどお手頃の距離だし、高麗橋がある北浜まで、歩いて行くことにしよう。



玉造駅の手前に、二軒茶屋の跡がある。江戸時代、ここを通って、奈良に向かう旅人のために、つるや、ますや、の二軒の茶屋がここに店を構えていたそうだ。



玉造稲荷神社。ここが伊勢本街道の始点になっている。伊勢参りの際には、まずここで旅の安全を祈願して、出掛けるのだろう。暗峠奈良街道は、伊勢本街道の一部になっているのだが、道標に従って、さらに高麗橋まで歩くことにしよう。



玉造稲荷にある豊臣秀頼像。温厚で、しかし何となく頼り無さげな雰囲気だ。2014年、2015年は、大阪冬の陣、夏の陣から400年目になるとのことで、様々なイベントが準備されているようだ。当然のことながら、2015年は、秀頼没後400年ということになる。



秀頼像の奥にある鳥居は、1603年に、秀頼が寄進したものだそうだ。阪神大震災で、石柱の継ぎ目が限界に達し、鳥居の上部を外して、石柱下部の前に、あらためて設置したらしい。不思議な光景だ。



森ノ宮の日生球場跡地。球場が廃止・撤去されてから、随分経つが、未だ更地のままだ。具体的な計画もあるらしいが、どうなるのだろうか。



法円坂にある越中井。細川越中守忠興の屋敷があったところだ。関ヶ原の戦い際、石田三成の人質になることを拒んだ細川ガラシャが、家臣に胸を突かせて亡くなったところでもある。



ここまで来ると、どこが街道なのかは、どうでも良くなってきて、中央区内の気になる史跡を巡るブラブラ歩きになってきた。大阪城の南側に広がる難波宮跡公園。大極殿基壇が復元されているが、何とも殺風景で、難波宮を彷彿とさせるイメージもあまり沸かない。



難波宮跡の一角に、旧日本陸軍の歩兵第八連隊の記念碑がある。「またも負けたか八連隊」と揶揄された大阪出身者から構成された歩兵連隊だが、これは大阪人の計算高さから受ける先入観によるものらしい。事実は決して弱兵ではなく、多くの戦果を挙げたと聞く。



国立大阪病院の東南に建つ、大村益次郎の碑。適塾で学び、長州の民兵を率いて幕府軍と戦い、維新後には、徴兵制を導入し、その後の陸軍の礎を築いた人だ。シーボルトの娘とのロマンスでも有名だ。京都で襲撃された益次郎が、治療空しく、ここで亡くなった。



昭和15年に建立されているが、碑に、いろは順に並んだ発起人には超大物が名を連ねている。東条英機や林銑十郎といった軍人から、松岡洋右のような政治家、松下幸之助や小林一三のような財界人など、時代を代表する大物一覧の様相だ。



旧熊野街道。こちらの方の終点(始点)は、天満の八軒家浜ということになっている。



南大江小学校の前に、今も大阪の中心部の地下を流れている太閤下水(背割下水)を覗ける施設がある。観察窓のアクリル板に傷が多いのが残念だが、それでも、清らかな水が流れている様が良く見える。



東横堀川に掛かる高麗橋までやってきた。今は阪神高速の入り口がある以外、さほど目立つことのない橋だが、江戸時代、大阪では数少ない幕府直轄の公儀橋であり、また西日本の道路の距離を測る起点となる里程元標が設置されているなど、実に重要な橋だったのだ。

 

 

まとめ (本日合計)

 
布施~高麗橋
 
歩行距離  約10km
所要時間  2時間45分
歩数     17100歩 (しっかり9500歩)
 
 


日本一長い商店街??(布施~東成)

2013年8月25日(日) ①


朝からの大雨も午後には小止みになったが、安心はできない。こんな時のためにキープしていた、布施から東成区今里まで続く、自称「日本一長い商店街」に出掛けることにする。いくつかの商店街を繋ぎ合わせれば最長になる、ということらしい。商店街の間には、かなり空隙があるようだが、大概の区間にはアーケードがあるはずなので、少々の雨でも大丈夫のはずだ。


近鉄布施駅に降り立ったのは、15時半も過ぎた頃。ウォーキング開始には、かなり遅い時刻になってしまった。布施駅には「えべっさん」の像が立てられている。布施は「えべっさん」の街とアピールしているが、今宮、西宮、堀川などと比べて、認知度はかなり低いように感じる・・・。



布施駅の南口から南に続く、プロムナード広小路。広い道路の歩道がアーケード状になっている。道路側は開放状態なんだけど、これも商店街なんだろうか。アーケードの中では、ハワイアンミュージックが流れている。



布施駅から300mほど南下した後、プロムナード広小路に平行する本町通り商店街を北上する。ここから、東成しんみちロードの西端までが約3kmで、天神橋筋商店街を上回るらしい。以前この3kmを舞台にスタンプラリーが開催されたが、所用で参加できなかったことを思い出す。



駅に近いこともあって、なかなか華やかで整然とした商店街だ。まあ、洋品店の上が、鉄板焼き?の店になっているなど、奇妙な組合せも見られるが・・・。



本町通り商店街は、近鉄線を挟んで、布施駅の北側にある、ブランドーリふせに繋がっている。布施戎神社は、駅の南側なんだけど、駅北側の商店街も、「えべっさんの街」であることをアピールしている。布施って、他にもウリはあると思うのだが。



提灯やら幟やら、派手に飾り立てられているが、イマイチ人通りは多くない。食料品や日用品の商店から、赤提灯の飲食店までが、渾然一体となっているだけに、商店街の賑わいを判断するには日曜夕刻というのは適当な時間帯では無いのだろうけど。



布施駅から離れるに従って、ますます人はいなくなる。まあ、商店の多くも定休日なのか閉まっているのだが。ブランドーリふせの北端にある4番街は、商店街の道が、東大阪市と大阪市の市境になっている。



ブランドーリを通り過ぎ、今度は東に商店街が続いていることになっているが、これは商店街といえるのか。連続しているというには、かなり無理がある。確かに店はあるが、商店街とか商店会とかの表示もない。



途中、深江稲荷神社に立ち寄る。深江菅笠ゆかりの地、という碑がある。かつて深江一帯には、笠の材料に適した良質の菅草が自生していたため、笠を縫う技術を持つ民が、この地に住み着いたそうだ。説明板によれば、なんと、約2000年前!のことだそうだ・・・。



「プランドーリふせ」のアーケードが途切れてから、数百mほども歩いて、ようやく、神路東商店会という標識が現れた。



喫茶店らしいが、ショーウィンドウには、フランス人形、大蛇の置物、イタチの標本・・・。凄い組み合わせだ。



「街の電気屋さん他」の看板。「他」って何だろう・・・。気になるぞ。



1kmほどの空白地を通過の後、ついにアーケードが出現した。しかし、アーケードの文字が剥げていて読めない。逆サイドの看板は辛うじて「神路本通」と読めた。神路とは、凄い地名だ。大阪湾から大和に続く古道だけに、きっと歴史的な伝承が多そうだ。



アーケードの看板は読めなくとも、商店街としてのインフラは整っている。照明は勿論、スピーカーとか監視カメラとかが設置されている。



平野川分水路の堤防には、この辺りの名所や名物が描かれている。東成の史跡、「鶴の橋」と「亀の橋」から、ツルとカメが組み合わされたキャラクター「ルカちゃん」は、東成区のゆるキャラだ。



平野川分水路の橋の上の両側には、ベンチや灰皿が設置されている。両側併せて40席ほどもある。かなり大勢の人が休憩可能だ。



橋を渡ると、再び100mほど、アーケードが途切れる。



神路銀座を経て、今里1番街へと、アーケードは続く。さらに、今里新道筋と続いているようだが、切れ目は良く分からない。流れている曲は、麻丘めぐみとか、ゴダイゴとか。我が青春時代、70年~80年代のポップスばかり。買い物客も同世代と思われる人が多いように思える。



昨夜来の大雨のせいか、閉じられたシャッターには土嚢が積まれている。この辺りは、浸水被害の多いところと聞くが、冠水でもしたのだろうか。今朝は梅田付近もかなり冠水したと聞く。



ブラブラ歩いて、約1時間で、今里新道商店街の出口に到着。布施から3kmほどと言うが、やはり、連続した商店街と言うには、ちょっと苦しいのではないか、というのが結論。

 
 
雨のせいか、気温は低く歩きやすい。せっかくなので、最近の運動不足解消のためにも、もう少し歩くことにしよう。
 
                                 ② 「今里~北浜 ブラブラ歩き」に続く