信貴山ハイキング

2014年2月23日(日)


午前中の用事が長引いたが、あまりに良い天気なので、信貴山の朝護孫子寺に出掛けることにした。「虎まつり」の一環として「虎ウォーク」と名付けられた山内の寺院・お堂を巡るスタンプラリーが今月末まで開催されていると聞いている。(実はこれが誤報だった)

近鉄生駒線の信貴山下駅に到着したのは14時半。まあ低山だし、バスも通っているところなので、何とかなるだろう。



駅前から、いきなり延々と上り坂が続く。住宅街を抜け出す前に、息があがってしまう。



住宅街を抜け、さらに登っていくと、かつての信貴山ケーブルの廃線跡となる登山路に入る。山中では、まず見掛けることが無い、直線の上り坂だ。



誰が用意してくれているのかは不明だが、途中、3ヶ所ほどに、急な降雨を凌ぐ傘で作られた庇がある。さらに貸傘?も何本か、掛けられている。

 


駅から30分ほどで、料亭旅館などが建ち並ぶ、信貴山門前の観光エリアに到着。



驚いたことに、かなりの積雪が未だ残っている。半月前に降った大雪が残っているのだろうか。



門前の観光センターで、虎ウォークの台紙を貰おうとしたところ、それは虎まつり(2月8日、9日)の2日間だけのイベントだ、とのこと。せっかく登ってきたのに、ショックだ。帰宅して、奈良県ビジターズビューローのHPを再度確認したが、やはり2月1日~28日と記載されていた。



観光センターで、思わぬキャラクターに再会した。石田三成の重臣、島左近をモチーフにした「しまさこにゃん」だ。三つ柏の紋が付いているので間違いない。考えてみれば、元は筒井順慶に仕えていたので、松永弾正が籠った信貴山城攻撃にも加わっていたはずだ。



信貴山朝護孫子寺に到着。まずは、このお定まりの角度からの写真を撮らない訳には行かない。張り子の虎の前で記念写真を撮る人が大勢いたので、長い時間待って、ようやく人の映り込みの無い写真を撮ることができた。



案内板によると、聖徳太子が物部守屋討伐をこの地で祈願された際、毘沙門天が現れ、必勝の秘法をお授けになったそうで、それが寅の年・寅の日・寅の刻だったらしい。そんなことで、境内には、他ではあまり見かけない乗馬姿の聖徳太子の像がある。



聖徳太子が、信ずべき貴ぶべき山として、信貴山と命名され、毘沙門天をお祀りしたそうだ。この寺のご本尊の毘沙門天王が安置されている本堂にお参りする。



急崖に張り出した本堂の朱塗りの欄干の向こうに、奈良盆地が一望できる。



境内には、あちらこちらに、様々な虎の像を見ることができる。狛犬ならぬ、金銀の狛虎が設置されていたり・・・、



虎の口から入場する胎内くぐりがあったり・・・、



お堂の装飾にも虎が使われていたり・・・、



そして、これが、この寺、最古の虎像だそうだ。「笑寅」との名が付いているが、ちっとも笑っているようには見えない・・・。



お土産用に売られている張り子の虎。一番大きいのが5000円。ちょっと欲しかったりもする。
虎だらけのお寺だが、物部守屋との戦いは「丁未の乱」と言われているから未年だったはず。聖徳太子が必勝祈願したのは、その何年も前ということになるが、辻褄が合っているのかなぁ・・・。



それにしても、残雪が半端ではない。考えてみれば今年の「虎まつり」は、大雪直後だったことになる。「虎ウォーク」は開催できたのだろうか・・・。


 
結局、境内を小一時間ほどもアチコチ散策して、下山することにする。山中ではあるが、門前には大きな池もあって風光明媚なところだ。池の畔には観光ホテルもある。



信貴生駒スカイラインの入口の脇を通過する。毎年6月頃に開催されている生駒スカイウォークは、生駒山上遊園から暗峠まで、このスカイラインが歩行者に開放されるが、さらに信貴山まで歩けたら楽しいだろう。



「イノブタに注意」という驚くべき看板に遭遇。このあたりの養豚場から逃げたしたものなのか、野生のものなのかは不明だが、出会えるものなら見てみたい気もする。出てこいイノブタ!

 
それにしても、信貴山のどか村を少し超えたところにある、この看板。ここは未だ奈良の三郷町ではないだろうか。八尾市が越境して設置しているようだ。



残雪と泥濘の道を苦労して進み、ようやく恩智峠にやってきた。ここからが八尾市のはずだ。



八尾方面への下り道では、眩しい西日のなか、大阪平野が眺望できる。



帰路途中、恩智神社にもお参り。河内の国の二宮だ。



近鉄の駅名表示によれば、恩智って「おんぢ」なのだ。「智」が「ち」だから当然だが、「ぢ」のローマ字表記は「JI」なのか「ZI」なのか「DI」なのか。どうでも良いと思いながらも、以前から気になっていたのだが、ここでは「ONJI」になっている。



まとめ


歩行距離   10kmくらい?
所要時間   191分(3時間11分)
歩数      16800歩


黒田官兵衛と光ゆかりの地クイズラリー(加古川)

2014年2月22日(土)



締切まであと1ヶ月を切った、加古川で開催されている「黒田官兵衛と光(てる)ゆかりの地クイズラリー」に出掛ける。官兵衛の妻、てるの出身地である志方城址を含む市内10ヶ所に掲示されているクイズに答えて応募する、という仕組みだが、全10ヶ所を歩き切るには、ざっと25~30km(と思っていた)は歩かなければならず、1日で歩き切れるかどうかは微妙なところ。



朝早く出る予定が、なんだかんだで、スタート地点の東加古川駅に着いたのは13時前。日没まで5時間程度しかないので、この時点で既に1日でコンプリートすることは絶望的。しかも、風が冷たく、小雨がパラつくかと思えば、陽が射してくると結構暖かくなる、といった不安定な天候。



東加古川駅から東にJRの線路の沿って約30分、最初のクイズポイントの-教信寺(野口城跡)にやってきた。境内には枝ぶりのいい桜の木が植えられている。



教信寺の山門の前に、簡単な4択クイズが掲示されている。主催者にとってクイズラリーは、スタンプラリーより手軽なのかもしれないが、参加者にとっては、延々と歩いて来た末に、スタンプを押すような達成感は得られない。



さらに南西に30分ほど歩いて、鶴林寺にやってきた。阪神・山陽の沿線散歩スタンプラリーなどで、何度も訪問したところだ。もっとも入山料を支払って、中に入ったのは1回だけだが・・・。



鶴林寺公園には、かつて山陽線を走行していたSLが保存・展示されている。



続いては、市街地を北西に向かい、加古川駅に近い称名寺(加古川城跡)に向かう。とにかく、「光のふるさと、加古川」のノボリが、これでもかというほど立てられている。



加古川図書館。風格のある建物だ。もともとは公会堂として建てられた昭和モダン建築だ。この地に本籍があった三島由紀夫がかつて徴兵検査を受けたのが、この建物の横にある松の木の下だそうだ。



称名寺(加古川城跡)。今は平坦な市街地にある寺院でしかないが、かつては塹壕をめぐらした要害で、の秀吉の播磨制圧戦の軍議が行われたところだ。当時の城主が若き糟屋武則。その後賤ヶ岳の七本槍の一人として活躍するのだが、小姓上がりの福島正則や加藤清正と異なり、糟屋武則は既に一城の主だったということになる。



序盤戦と思っていた、JRの南側の3つのクイズポイントを終えるのに2時間も掛かってしまった。ようやく加古川を渡って、北部のクイズポイントに向かう。



昔の橋脚の跡だろうか。石柱の基礎のようなものが、2つずつペアになって川の中に並んでいる。



ニッケ(旧日本毛織)の工場。レトロ感溢れる煉瓦造りだが、未だ現役の工場だ。もっとも、広大なニッケの敷地の多くは、ショッピングセンターなどに再生されている。



ただでも方向音痴のうえに、まともな地図も持っていないものだから、迷いに迷って、ようやく4つめのスタンプポイント、常楽寺(神吉城跡)に到着。付近には神吉姓のお店やお宅が目立つ。



本堂は改修中だったが、神吉城の最後の城主、神吉頼定の墓所を境内に発見。三木城の別所長治らとともに秀吉の大軍に対して2000の兵でこの地に籠城し、大奮戦したと伝わる。当時の
地形を推理することは難しく、低い丘に建つ小寺院としか見えない。



さらに北に進むのだが、向かう先は山ばかりが連なっている。



山裾を縫うように歩いていると、立派な競技場が現れた。加古川の総合運動公園で、競技場の正面には大きな体育館もある。



東加古川を出発して4時間20分で、やっと光姫の出生の地、志方城跡にやってきた。こちらも今は小高い丘の上にある観音寺という小寺院で、かなり想像力逞しく観察しなければ、城跡には見えてこない。



神吉城跡の常楽寺と同様、こちらも大改修中。なんだか、大河ドラマが決まって、急に補助金が下りて、観光スポットに相応しい設えにすべく改装しているのではないか、と勘繰ってしまう。



境内奥にある墓地の一角に、この城の主であった櫛橋一族の墓所がある。幸圓というのは、光姫の雅号らしい。



さあ、日暮れまで頑張って、あと一つ。次なるクイズポイントの長楽寺を目指して歩き始めて15分ほどして、志方城跡で「官兵衛ゆかりの地スタンプラリー」のスタンプを押すのを忘れたことに気付いて、慌てて戻る。時間ロス、体力ダメージは大きい。



気を取り直して、あらためて、長楽寺に向かう。正面の山の麓~中腹あたりにあるようだ。夕暮れ間近になって登坂は辛いが、気力を振り絞って歩く。



長福寺に向かう道の傍にある溜池。池の水面が、夕闇が迫る薄紫色の空を、鏡のように映していて、とても幻想的だ。



ついに長福寺に到着。カメラは勝手にフラッシュが作動する暗さになってしまった。刻一刻と周囲の明るさが無くなり、お参りどころではない暗さになってきた。「水曜どうでしょう」の四国八十八ヶ所のように、門前でクイズを確認し、写真を撮っただけで退散する。



これまで歩いて来た道にバス停があったので、長楽寺の周辺がバスの始発と勝手に推測して、周囲を探すが、暗くて判らない。結局、元の道を延々と戻り、1時間に1本の宝殿行のバスに辛うじて間に合う。



10ヶ所歩くつもりが、結局6ヶ所どまり。情けない・・・。帰宅して歩行ルートを確認すると、遠回りの連続。最短距離を歩くより5kmも長い道を歩いていた。10ヶ所を踏破する行程を正確に計測すると、なんと38kmもあった。1日で歩ききるのは端から無理だった。続きはどうしたものか・・・。


まとめ


歩行距離   21.5km
所要時間   340分 (5時間40分)
歩数      35800歩



沿線散歩(5)鳴尾~香櫨園(西宮)

2014年2月16日(日)



昨日に続き、近鉄・阪神・山陽3社沿線散歩スタンプラリーへ。今日は比較的短い西宮のコースだ。沿線散歩のマップのタイトルは「野球と酒蔵の歴史を巡る!」。何度となく訪問しているところだが、歩くたびに何か新たな発見があるところが、ウォーキングの不思議な魅力だ。



阪神甲子園駅のひとつ手前の鳴尾駅からスタートするが、わずか10分ほどで、甲子園球場に到着。大改修が行われて、早くも4年になるが、以前のように蔦が外壁を覆うまでには、さらに何年もの月日が必要のようだ。



球場に隣接した素戔嗚神社には、星野仙一監督が揮毫した文字が入った野球ボール型の碑などが並び、さながら野球神社の様相だ。



周囲の歩道のポールも、野球ボールをモチーフにしたもの。歴代の高校野球大会の優勝校のパネルが貼り付けられている。ポールをひとつひとつ確かめ、当時の出来事を思い出しながら歩く人もきっと多いことだろう。



甲子園を通り過ぎ、今津にやってくる。野球一色だった道が、いつの間にか酒蔵通りになっている。まずは大関の工場や直営店が登場する。



しばらく歩くと、続いては日本盛の大きな工場。お洒落なレストランが併設されているが、既に予約で満席となっていた。



白鹿の関連施設が並ぶ一角にある公園のような空地には、釜のようなものが裏返しになって置かれた不思議な光景が広がっている。かつての洗米・蒸米のためのものなのか、宮水を溜めるためのものなのか、付近に説明板も見当たらない。



白鹿の創業家一族、辰馬喜重郎住宅。煉瓦造りの倉庫、高い煙突のある旧工場?、日本庭園とともに、大きなバルコニーのある白い洋風住宅が建てられている。明治21年の竣工のこの建物が、歴史上初めて、日本人が建設し、日本人が住んだ洋風建築だそうだ。



白鷹のショップ&レストランの入口に置かれている不思議な形状の荷車。かつて宮水を運搬していたタンク車なのだそうだ。牛に引かせていたらしい。



酒蔵通りを西へ、ゴールの香櫨園駅を目指す。カバーで覆われた交通標識がある。中を覗きみると、歩行者専用標識。近くにある西宮戎に参拝客が殺到する、1月の十日戎(宵戎、本戎、残り戎)の3日間のためだけに設置されているもののようだ。



香櫨園駅に到着。鳴尾駅から数えて、甲子園、久寿川、今津、西宮、香櫨園、と5駅分を歩いたことになるが、沿線散歩のマップによれば、歩行距離はわずか5.7km。平均駅間距離は1kmほどでしかない。阪神の駅間隔は短い。



酒蔵ショップでは、酒ばかりではなく、酒の肴を初めとして、様々な食品が販売されている。「かんころ餅」は、五島列島の特産品。サツマイモを練りこんだ餅。説明書に従って、1cmほどに切り、両面を軽く焼いて食べる。焦げたところが芳ばしく、サツマイモの甘さがとても優しい。



続いては「ちーず豆富」。何もかけずに一口食べてみると、味も食感も、甘みを抑えたチーズケーキのようだ。鰹節を掛けたり、醬油を垂らしたり、色々と試してみたが、そのまま食べるのが一番よさそうだ。



「きす骨せんべい」。うなぎの骨せんべいは、結構見かけるが、きすは珍しいのではなかろうか。ポリポリと齧っていると、止められなくなる。

 
 
珍しい食品に出会うと、つい買ってしまうことが多いが、3つとも「当たり」というのは、滅多に無いことだ。