こうやくんと高野山ラリー(1)高野山内

2014年5月31日(土)-①


高野山開創1200年記念イベントの一環として、南海電車でGO「こうやくんと高野山ラリー」なるスタンプラリーが開催されている。このスタンプラリーは昨年9月にスタートしたものだが、全8ヶ所のスタンプポイントのうち、日頃利用しているなんば駅と新今宮駅のスタンプだけ押印した後、長らく放置してきたのだが、気が付くと明日が最終日となってしまった。



朝7時に家を出たというのに、電車、ケーブルカー、バスを乗り継ぎ、奥ノ院前に到着したのが9時半。高野山って遠い。それに、意外に暑い。子供時代には、高野線終点の極楽橋で電車を降りた時、背筋がゾクッとするような涼しさを感じたという記憶があるのだが、今や冷房が当たり前になって、少々涼しいくらいでは満足できない体質になってしまったようだ。



公園化した広大な墓地内を歩いて、まずは、弘法大師の御廟がある奥ノ院へ。気温は高いが、古木が鬱蒼と茂り、日影が多いのが有難い。



奥ノ院でスタンプをゲット。4月1日からは応募葉書に52円切手を貼るようとの注意が掲げられている。それにしても、小坊主をモチーフにした「こうやくん」。街中だけではなく、寺院にも墓所にも高野山中あらゆる場所に登場している。ちょっと露出度が高すぎやしないかぁ・・・。



奥ノ院から一の橋にかけて墓所巡り。歴史上の有名人が総出演している感がある。木立の中を散策していると、順不同に、歴史の教科書をめくっているように、有名武将や江戸時代各藩の墓所が現れる。



高野山にあるのはおそらく分骨されたものだろうが、浅野内匠頭なんて、松の廊下での刃傷による切腹の後、一体誰が、いつ墓を建立したのだろうか。



石田三成にも立派な墓所がある。関ヶ原の戦いで石田家は滅亡したはずだが・・・。同様に武田勝頼とか、明智光秀とか、負け組の墓もしっかりと設置されているところが、高野山の懐の深さと言えよう。だからこそ、墓所巡りは興味深い。



石堂丸の歌舞伎や浄瑠璃でお馴染みの刈萱堂。



金剛峯寺。言わずと知れた高野山真言宗の総本山だ。火災に備えてだろうか、参道には水桶が沢山並べられている。



本堂の屋根の上にも、防火水槽のようなものが据え付けられている。国宝級の建造物が建ち並ぶ高野山だが、過去に大火に見舞われたことが何度もあるようだ。



山内にある国宝や重要文化財を保管している霊宝館。夏でも赤い紅葉のせいで、写真は秋の風情だが、実際は夏の太陽がギラギラなのだ。



高野山のシンボルとも言える根本大塔。金堂など、周囲の建物は古い木造なんだけど、その中で朱塗りの大塔はコンクリート造りなのだ。



「こうやくんと高野山ラリー」に併せて「高野山町石道押印帳」の7つのスタンプも制覇する意気込みで、今日は高野山にやってきた。何年も前に、九度山から町石道を上ろうとしたときにゲットしたスタンプ帳だ。もっともその際には、あまりの暑さと上り坂のため、ギブアップしてしまった。



町石道の地図の上にスタンプ欄がある。なかなか凝った絵柄だ。高野山内では、奥ノ院と金剛峯寺の大伽藍がスタンプポイントになっている。



もっとも、スタンプ帳はいつの間にかバージョンアップしていた。かつては7ヶ所でコンプリートだったものが、熊野古道も含めた18ヶ所の押印欄がある。全制覇のハードルは一気に高くなっている。



町石道は、九度山の慈尊院から、根本大塔に繋がる旧道。一町(約109m)おきに石塔が立てられている。根本大塔からしばらく歩いたところで、三町の石塔を発見。ということは200mほど手前にスタート地点の一町の石碑があったはずなんだけど、戻るのが鬱陶しく感じる暑さだ。



高野山内の路傍には、石像が多く見られる。小坊主が木魚を枕に居眠りしている。とても可愛く、和んでしまう。



象の石像も上手くデフォルメされて可愛い。上に跨りたくなる。



道路標識には、傘が付けられている。見慣れた標識だが、傘を被ると、何故か威厳が増しているように感じてしまう。



高野山の入口、大門にやってきた。さあ、ここから町石道が本格的に始まる。



手元のマップによれば、町石道は約20km、所要時間が6時間以上とあるが、これは上りに要する時間。下りならもう少し早く歩けるだろう。とはいえ、高野山内で予想以上に時間を掛けてしまい、既に11時半。18時頃には大阪に戻りたかったのだが、もはや絶望的だ。高野山ラリーのスタンプはあと一つ九度山駅が残っているが、町石道を歩き切らないとゲットできない。



とにかく行けるところまで行くことにしよう。
                               ・・・(2)に続く