橋本・伊都スタンプラリー

2015年5月9日(土)


早朝からゴルフに出掛けるものの、生憎の雨模様に加えてゲストの体調不良のためハーフで切り上げ。昼前に自宅に戻ってきた。そこで、少し遅い出発になるが、和歌山県の橋本市と伊都郡で開催されているスタンプラリーに出掛けることとする。



今年は高野山開創1200年ということで、このスタンプラリーも、その一環のようだ。スタンプポイントは、橋本市内で2つ。伊都郡内の九度山町で2つ、高野町で1つ、かつらぎ町で1つの計6つ。うち4つのスタンプを獲得できれば記念品を貰えるようなので、橋本・九度山のポイントを歩き回ることにしたい。距離は11~12kmくらいというところだ。



高野山開創1200年に因んでのことだろうか。橋本駅前の「まことちゃん人形」もいつの間にか僧形になっていた。まことちゃんの作者である楳図かずおの出身地は隣接する奈良県五條市と思っていたが、生まれは高野町なんだそうだ。五條で過ごした青少年期には、橋本も行動範囲のうちだったのだろう。



JR橋本駅で一つ目のスタンプをゲットし、九度山に向けて高野街道を歩いていくつもりだったが、雨が降り止まない。いつの間にか100mほど西に移設された観光案内所などで空模様が変わるのを待つ。柿を頭に載せ、名物のへらぶなの釣竿を背中に背負った「はしぼう」なる橋本市のマスコットもいつの間にか登場している。かなり頻繁に訪れる町なのだが、新発見が多い。



駅前とは異なり、今も昭和のレトロな雰囲気満載の橋本の旧道を、小雨の中を傘もささずにトボトボと歩き始める。この雨は止むのだろうか・・・。取りあえず、2つめのスタンプポイントになる応其寺に向かう。



応其寺。初めての訪問になる。事前の知識もないまま、門を潜ると、観光ボランティアの方がおられて、丁寧にお寺の由来などを教えていただいた。比叡山などが焼き討ちに合った戦国時代、紀州征伐の際に秀吉との交渉を重ねて高野山を守った応其上人所縁のお寺なんだそうだ。



応其上人像。高野山の中興の祖とも呼ばれるそうだが、冬には、寒い高野山からこの地に下りて過ごされたそうだ。



応其上人の偉大な事績として語り継がれているのが、この広い紀ノ川に200mの橋を架けたことなんだそうだ。(間もなく流されたらしいが・・・) 橋本という地名は、その橋の袂の地ということに由来しているらしい。今では立派な鉄橋が当たり前のように架かっている。



紀ノ川を南に渡る。ここから5kmほども東に行けば奈良県になるが、そこから川の名前は吉野川に変わる。雨はますます本降りになってくるが、次なる目的地、織田信長の嫡孫、織田秀信(幼名三法師)の終焉の地に向かう。



が、雨は激しくなる一方。アメダスを確認すると、大阪市内は雨が止んでいるのに、橋本付近には太い雨雲の帯。さすがに撤退を決意する。



4つ集めるつもりだったスタンプは、結局2つどまり。九度山の慈尊院も丹生官省符神社も、頻繁に訪問しているところだけに、イベント終了の5月21日までに再訪する可能性は低い・・・。