大阪の恩人「五代友厚」スタンプラリー

2016年2月6日(土)


現在放映中のNHKの朝の連ドラ「あさが来た」が好調とのことだが、そのなかで五代友厚の人気が随分高いらしい。古川智映子の原作「小説土佐堀川」は読んだものの、会社勤めの身にあってはテレビを観る機会はほとんどないが、五代は重要な役どころとはいえ、出番は多くないはず。しかし、朝ドラの五代人気に乗っかったスタンプラリーが開催されている。



スタンプラリーの主催者のひとつは、大阪取引所。北浜の交差点に面したビルの正面には、大阪取引所の前身、大阪証券取引所の設立発起人となった五代友厚の銅像が立っている。台座も併せて高さは8m近い立派なものだ。



今日は、スタンプラリー期間中の特別イベントとして、大阪取引所内の見学ツアーが開催される。いつもは閑散とした1Fホールなのに、ツアー開始5分前にやってきたら、既に大勢の人が列をなして待っていた。



西日本最大の株価ボードの前で、30分ほど広報の方の説明を聞きながら順番を待つ。その後、5FにあるOSEギャラリーで、大阪の米相場からデリバティブ取引に至る歴史を解説していただいた。



数々の展示品や説明パネルに交じって、NHK朝ドラのポスターも、しっかり貼られていた。OSE
ギャラリーはいつでも見学できるはずだが、こんなに大勢の人が訪問することは滅多にないようで、大阪取引所の広報の方も、とても嬉しそうだった。



次のスタンプポイント、大阪企業家ミュージアムに向かって、南にブラブラ歩いていく。大阪取引所の南東には、「天五に平五 十兵衛横丁」の石碑がある。大阪を代表する両替商、天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛が道を挟んで店を構えていたところだ。5+5=10ということらしい。天王寺屋は広岡浅子の異母姉が嫁いだところだ。



北浜といえば、東京の兜町と並ぶ株の町。だったはずだが、システム化により今や立会場もなくなっつたせいか、証券関係のビルも人も随分減った。以前は、証券会社の看板が道に沢山並んでいる写真をよく見かけたが、今やどう頑張っても2社の看板しか同じ写真の中に納まらない。



大阪美術倶楽部のビルの角に、旧鴻池家の本宅跡の石碑が建てられている。日本を代表する大豪商で、加島屋とともに最後まで生き残った両替商。鴻池銀行は、他の2つの銀行と合併して、三和銀行になり、さらに合併を重ねて、三菱東京UFJ銀行となった。



堺筋高麗橋にある三井住友銀行大阪中央支店。もともとは三井銀行大阪支店だったところだ。豪商三井の大阪における本拠地だったところではなかろうか。かつては、三井の両翼ともいえる両替店(三井銀行)、呉服店(三越)が並んでいたのだが、今や三越百貨店の跡地には高層マンションが建っている。



堺筋瓦町にある三菱東京UFJ銀行瓦町支店。鴻池銀行、野村銀行とともに、広岡浅子の加島銀行の店舗を分割継承した山口銀行の本店だったところだ。大阪の山口財閥が設立した山口銀行も鴻池銀行などと合併して三和銀行となっていく。今の3つのメガバンクは、一体いくつの銀行がくっついたものなんだろうか。



野村銀行も、その後様々な変遷を経て、堺筋備後町に本店を構える、りそな銀行となった。えらく高層の本店ができたものだと驚いたが、皮肉なことに、この本店ビルができた途端、バブルが弾けたこともあって大和銀行がおかしくなったように思う。



堺筋をブラブラ歩いて、本町通にある大阪企業家ミュージアムに到着。大阪に所縁のある経済人の事績を紹介しているところだ。普段は空いているのに、やはり今日は満員御礼。五代友厚スタンプラリーに併せて、1週間無料開放にしている。



せっかくなので、松屋町筋の大阪商工会議所にも立ち寄る。初代会頭の五代友厚の銅像がここにもある。



この地は、かつて大阪西町奉行所があったところ。さらに初代の大阪府庁があったところでもあり、貿易館があったところでもある。時代は変われど、常に大阪の中心的施設がここに建っているようだ。



スタンプラリーといっても、スタンプポイントはわずか2ヶ所。インク色が異なるとはいえ、スタンプが2つとも同じというのは残念だ。もっとも、五代友厚って、銅像も含めて、皆同じ顔をしている。元になる写真が同じということだろうか。



スタンプラリーの記念品は、五代友厚クリアファイル。スタンプや銅像の元となったと思われる写真が使われている。



企業家ミュージアムの展示によれば、五代友厚の住居は、堺筋備後町あたりにあったようだ。ちょうど、今のりそな銀行本店と、東京三菱UFJ銀行瓦町支店の真ん中あたりだ。