大坂夏の陣激戦地をめぐれーっスタンプラリー

2016年8月13日(土) ②


先日、大阪地下鉄が主催している「幸村が駆け抜けた大坂スタンプラリー」で平野~天王寺~谷町と歩いていた際に発見した「大坂夏の陣激戦地をめぐれーっ‼スタンプラリー」。4年ほど前から常時開催されている「天王寺七坂ご利益いっぱい歴史も満載スタンプラリー」と同じく、「てんのうじ観光ボランティアガイド協会」が主催するもの。スタンプや台紙の絵柄や文字も同一作者と思われる。



100円を支払いスタンプ台紙になっている小冊子を購入。一昨日訪れた真田幸村終焉の地、安居神社を再訪する。真田幸村像には記念撮影する人が群がっているのだが、肝心のはずの本殿には誰も寄り付かない。スタンプは当然のことながら真田幸村。



安居神社の南側が逢坂。国道25号線になっていることもあって、天王寺の七坂のなかでは風情も何もない坂だ。



逢坂付近は人も車もゴチャゴチャとしているが、このあたりから天王寺公園越しに見たハルカスが、もっとも見栄えがいいと感じている。



一方で、安居神社の北側の天神坂は、いい感じ。



天神坂に面したマンションを宣伝する幟にも六文銭が描かれている。まあ、意匠登録も著作権も関係ないだろうから、使いたい放題だ。もっとも、景観や地域特性と調和しない妙な旗ではなく、このようなデザインを採用することには好感が持てる。



四天王寺に近づくと、飛び出し坊やが何と、畏れ多くも聖徳太子になっている。まあ、それだけ聖徳太子との関係が深い土地なんだろう。



四天王寺も大坂夏の陣の激戦地。ここのスタンプには、真田幸村に勝るとも劣らないとの評価もある毛利勝永がデザインされている。



大阪市立天王寺小学校には、水泳の入江陵介選手を応援する垂れ幕が飾られている。ここの卒業生なんだろうか。丁度出掛ける前にメドレーリレー予選での泳ぎを見たばかり。明日はメドレーリレー決勝に出場するはずだ。



庚申堂。スタンプは、ここで真田幸村の影武者として家康の本陣に切り込み、討死したと伝わる穴山小助。真田十勇士のひとりで、槍の名手と伝わる。もっとも真田十勇士というのは、後年の創作によるものとも言われるが、大河ドラマでの扱いがどうなるのか興味深い。



谷町通に面した堀越神社。もともとは家康が本陣を置いた茶臼山の上にあった神社らしい。スタンプは徳川家康。



茶臼山に程近い一心寺存牟堂。スタンプ冊子の大きさに合わせてカットされた新聞紙が置かれている。とても嬉しい心遣いだ。天王寺七坂スタンプラリーでも、インクの染み出しでせっかくの印影が台無しになりかけた。ここのスタンプは真田幸村を打ち取った越前藩松平忠直。家康の孫で武功も抜群なのに、その後秀忠から干されてしまった。



最後が一心寺。お盆のせいもあって、とんでもない人混みだ。スタンプは毛利勝永に討ち取られた本多忠勝の子、忠朝。酒の失敗を取り戻そうとの無理攻めが祟ったらしい。一心寺にある本多忠朝の墓には、酒絶ちの願いを込めた参拝者が訪問するらしい。



一心寺境内にいくつも設置されていた灰皿? 灰皿として使われていたが「果皮箱」と彫られていた。中国では、名前どおり本来は果実の皮を放り込むゴミ箱だったようだ。



狭いエリアに集中していたスタンプポイントだが、1時間ほどでコンプリート。大坂夏の陣の物語が出来上がった。



それぞれのスタンプに描かれた武将には、セリフもあって、6コマ漫画のようにもなっている。徳川方が黒、大坂方が赤になっているなど、細かな工夫もあって、とてもいい感じに仕上がった。



一心寺で、完歩の記念証を頂戴した。なんと、一心寺でこの記念証を発行するのは初めてのことなんだそうだ。受付のおばさんが、とても喜んでくれて「おめでとう」を連発してくれたのは、少し照れ臭かった。おそらくは常設スタンプラリーで、つい最近始まったばかりなんだろうけど、きっとこれから多くの記念証が発行されるに違いない。



冒頭にも書いたように、このスタンプラリーは、別のスタンプラリーで歩き回っていた際に発見したものだが、このスタンプラリーをしている間にさらに新たなスタンプラリーを発見する。続々と現れる徳川軍に立ち向かう真田幸村のような気持ちで、さらに次の敵に挑むこととする。(③に続く)