淀川完歩③(初志貫徹の淀川編)枚方~大阪湾

2016年1月3日(火)


新年初ウォーキングとして、昨年暮れに始めた淀川完歩の続きを敢行する。石山~宇治の初日は暗闇の中を歩く破目に陥り、宇治~枚方の2日目は前日の疲労のためにヨレヨレ状態。2日の休憩と十分過ぎる栄養摂取で、今日の体調はバッチリだ。かつての枚方宿の風情を残す京阪枚方公園駅からスタート。



天候も申し分ない。正月も3日ともなると、凧揚げやジョギングを楽しむ人ばかりか、野球、サッカー、ゲートボール、テニスなどを家族や友人と楽しむ人たちも多く、河川敷は随分賑わっている。



スポーツ施設に利用されていない河川敷エリアは、ヨシやススキが群生している。冬になって枯れているのがヨシで、枯れずに緑色のままに残っている後方の背の高いものは、セイタカヨシなんだそうだ。



河川敷公園には、100~200mおきくらいに、トイレが設置されている。かなりの充実度とも言えるが、河川敷公園を利用する人の多さを考えれば、これでも足らないのかもしれない。このトイレは移動式のようで車輪が付いているんだけど、給水や浄化などの装置は見当たらない。どのようになっているのだろうか。




近畿自動車道までやってきた。モノレールが走っている。ここまで来ると、土地勘はグッと増す。一方で、歩きつくした感のあるエリアでは、刺激が少なくウォーキングがダレてくる恐れがある。



歩き始めて11km。まだ半分も来ていないのだが、前方には大阪市内の高層ビル群がはっきりと見えてきた。



ワンドと呼ばれる河川敷の小さな池が連なっている。もともとは、淀川を航行する蒸気船のために、水流を抑制する仕掛けだったそうだが、今は魚など様々な水生生物の絶好の棲み処となっている。ワンドの周囲では釣りを楽しむ人も多い。



長らく貨物線が休止されていて歩道になっていた赤川鉄橋。おおさか東線の整備工事に伴い近年ついに立入禁止になってしまった。この鉄橋を歩くのは、ワクワク感が半端なかったのだが、もう歩けることは無さそうだ。



毛馬も閘門が現れた。大川(旧淀川)、すなわち中之島方面に向かう船のため水位を調整するものだが、未だかつてここを通過する船に出くわしたことが無い・・・。



こちらが今は使われなくなった第一閘門。煉瓦造りの風格ある施設で、こちらの方が閘門の仕組みが判りやすくいように思える。文化財に指定されている。



第一閘門と同様に文化財に指定されている毛馬の洗堰。大川への水量を調整するものだ。



今は毛馬水門のすぐ目の前に、淀川の可動堰が設置されている。水門が6門備えられている。



毛馬には与謝蕪村の生誕地の碑もあり、花束が手向けられていた。「春風や堤長くして家遠し」の句碑がある。船場あたりの奉公先から藪入りの帰郷を詠んだ句だと言われるが、まさに今の気分と同じ。春のような陽気ではあるが、淀川の堤防は延々と続き、ゴールの大阪湾は未だ未だ遠い。



堤防の外側には、長く、そして幅の広い空間がある。阪神高速淀川左岸線の用地の準備が着々と進んでいるようだ。



大阪市内も中心部に入ると、どこを歩いているのか、はっきりと理解ができるのだが、思うようなペースで前に進まない。体の疲れもあるが、気分が盛り上がらない。天神橋筋の北側を過ぎ、JR東海道線の高架が見える。すぐそこは都会の真ん中なのに、ススキに囲まれた道を歩く。



なるべく堤防の内側を歩こうとするのだが、鉄橋の下などは、思いっきり屈まないと潜ることができない。橋の下ごとにブルーテントの集落?があることにも、気分が萎えてしまう。この先、知った道ばかりなので、無理にゴールしなくとも、と、厭戦気分が高まってくる。



ゴミも多く、テンションアップの材料はあまりないが、それでも、堤防をソリで滑り落ちるのに興じる家族連れや、凧揚げに夢中な子供たちを見ると、ちょっと気分が落ち着いてくる。



淀川左岸線のために更地となったエリアに、マンホールだけが残されている。周囲のコンクリートが斫られ、マンホールの下、下水に連結されている立坑も露わになっている。



河川敷公園を歩いてきて、とにかく目に付くのが「禁止」看板。看板の8割以上は禁止看板だ。バーベキュー禁止、ゴルフ禁止、バイク禁止、ラジコン禁止、花火禁止、焚火禁止・・・。悪いにはルールを守らない人であることは間違いないが、ウォーキングの気分が盛り上がらない一因が、禁止看板の多さにあることは間違いない。



傾斜があったり、草地の中であったり、歩きにくい河川敷を頑張って進んできたが、ついに先に進めなくなった。外に出るには、堤防を攀じ登るような梯子を使うしかない。堤防の外はすぐ車がビュンビュン走る自動車道路なので、ちょっとおっかない。



伝法付近は、堤防の外の地面がかなり低く、川面とさほど変わらないように見える。阪神なんば線。伝法の鉄橋の袂にはオレンジ色の防潮堤が設置されている。高潮の際などには、この防潮堤を閉止し、当然のことながら電車は運休となるはずだ。



 伝法水門の奥に、内海のような漁港がある。安治川掘削前の江戸時代には、各地からの船舶が大阪向けの荷物を下ろすところだったらしい。



堤防の上の道に突如現れたL2.0の大きな文字。どうやら淀川河口まで2.0kmとのサインのようだ。Lは左岸を意味しているのだろう。それにしても、何のために、これほどに大書しているのだろうか。



途中で何度も歩くのが憂鬱になったが、初志を貫徹して淀川河口0km地点にやってきた。 地面にはL0.0の大きな文字。堤防には小さな金属のプレートが設置されていた。



まだ道は西に延びているが、ここから先は淀川でなくて海ということになる。



本日の歩行軌跡。当然のことながら、枚方から此花区の常吉まで、ほぼ一直線という面白味のない軌跡だ。歩行距離は約28km。



いろいろとあったが、無事3日間(休憩込みで計21時間)で淀川を完歩。長らく温めていた目標を達成したのだが、初日の石山~宇治以外は、満足感、達成感は何故か低い。川と道が離れていて川の流れを楽しめなかったこともあるが、河原ではいろいろと社会の暗部にも直面することが多いせいかもしれない。

総歩行距離は約81km。川そのものの延長距離は75kmということだが、寄り道や回り道で1割程度距離が増えているようだ。