東寺~祇園~山科(京都幕末維新スタンプラリー)

2017年10月9日(祝) ①


昨日に続いて大政奉還150周年記念の幕末維新スタンプラリーに挑戦。残るスタンプポイントは7つ。各20kmずつ程度歩かなければ、あと2日でもコンプリートさえ危うい。今日は京都駅を起点に、京都の東側を制覇したい。



京都駅から南西に歩いて15分、東寺にやってきた。源平、南北朝、応仁の乱など、東寺は繰り返し戦禍に巻き込まれている。鳥羽伏見の戦いでも薩摩軍の本陣が置かれている。京都のランドマーク、五重塔も現在のものは5代目になるそうだ。手前の柳は、小野道風の柳と蛙の逸話の舞台と伝えられているそうだ。



東寺でUターンして、再び京都駅を越えて東本願寺渉成園へ。美しい庭園だそうだが、スタンプだけ押印して素通り。昨日の岩倉実相院も素通りだったが、大汗をかきながらウォーキングに励むことと、庭園を静かに鑑賞することは、気分的に両立しないのだ。



六条あたりの高瀬川。観光地化されていない地域で、とても静かなところ。清流の脇に据えられた縁台や蚊取り線香が、昭和の京都の風情を感じさせてくれる。



高瀬川の畔、五条通のすぐ南に立つ大きな榎の木の根元に「源融河原院址」と書かれた石碑が建っている。百人一首で知られる源融は、源氏物語の光源氏のモデルとも言われる人物だ。河原院はその後渉成園になったというが、場所が離れているように思う。相当大きな敷地だったのかもしれない。



五条大橋を渡る。橋の欄干にある擬宝珠は、長い年月のなかで改修や交換が行われてきたせいか、古いものは正保(江戸初期)、新しいものは昭和の年号が刻まれている。




次なるスタンプポイントは高台寺の傍にある霊山護国神社。祇園のど真ん中を突っ切って歩く。芸妓さんや舞妓さんの名札が並んだお茶屋さんの玄関の造りがとても興味深い。



祇園は大賑わい。昔は限られた人々の遊興の場と考えて昼間でも立ち入るのが憚られていたように思うのだが。レンタル衣装だと思われるが、着物を着た女性の姿が目立つ。



それにしても、祇園のど真ん中にJRAの場外馬券売り場があるのには違和感がある。いや、規制の厳しい京都だからこそ、超繁華街の祇園くらいにしか場外馬券売り場を作れなかったのかもしれない。



東山の坂を上って、霊山護国神社にやってきた。坂本龍馬のお墓があるところだが、有料ゾーンということで諦めた。なんてケチなんだろう・・・。



休憩所には、「龍馬の水」や「龍馬よさこい茶」が自販機に並んでいる。これって、高知県から取り寄せたものだろうか。



八坂の塔。誰もが知るこの地のランドマークだが、この塔がある法観寺というお寺の名前を知る人は少ない。実のところ、以前から随分気になってはいるのだが、訪問したことがない。



ここでも着物姿が目立つ。外国からの観光客も着物を着ている人が随分多い。女性ばかりでなく、男性も多い。この数年の間に、京都での着物レンタル業は急成長しているようだ。



高台寺横の通称「ねねの道」で御陵衛士屯所跡を見つける。伊東甲子太郎や藤堂平助ら、新選組の尊皇派が脱退して結成された組織だ。当然、御陵衛士と新選組は激しく対立するのだが、今の政治でも似たようなことが多い。



円山公園を突き抜けて、浄土宗総本山、知恩院にやってきた。立派な山門だ。いや、知恩院では三門というそうだ。この奥にある御影堂は8年もかけての大修理が行われている。左甚五郎の忘れ傘も長らく見ていない。



偶然、粟田神社の祭礼に出くわす。剣鉾に先導された神輿が町を練り歩くようだ。丁度休憩中だったので、剣鉾に付けられた鈴の音色は聞けず終いだった。



京都で最も格式の高いホテルとして君臨してきた都ホテルだが、随分前にウェスティン入りしてしまった。未だに「ウェスティン都ホテル京都」と言われてもピンと来ないが、正門脇には今も「ミヤコホテル」との古い文字が残っている。



蹴上から山科に向かって、旧東海道の坂を上っていく。古くから東国から都に入る交通の要衝であるとともに、江戸時代には、都のはずれにあって、磔、獄門、火炙りなど、幾多の公開処刑が行われたところだ。



琵琶湖や東海道を経由しての物資の搬入ルートとしても重要な道で、何度も峠の切り下げが行われ、さらに車石舗装がなされ牛車などのためのレールもあったようだ。それにしても、旧東海道が、今では京都府道143号線になっているとは、格落ち感が半端ない。



さらに進むと、旧東海道は府道から分岐して、ひどく細い道になる。車一台が何とか通れる幅しかない。かつての日本随一の街道は、これほどに狭かったのだろうか・・・。



山科の本圀寺にやってきた。本日4つ目のスタンプポイントだ。幕末には鳥取藩尊皇派が佐幕派重臣を殺害するという本圀寺事件の舞台となったところだが、当時の本圀寺は六条堀川にあったそうで、この地に移転したのは40年ほど前とのことだ。幕末維新スタンプラリーも、山科区代表選出には苦労したのではなかろうか。



驚いたことに、加藤清正を祀る清正宮があり、金ピカの鳥居になっている。加藤清正が本圀寺の熱心な支援者であり信徒だったそうだが、秀吉ならともかく、清正って、こんな派手なイメージではないのだが・・・。



琵琶湖疎水に沿って、山科駅まで歩いて、今日はお終い。




やっとのことで、ゲットしたスタンプは11個。京都の西から南にかけての嵐山~桂~伏見という長距離ウォークで、あと1日で残り4つを片付けたいものだ。



歩行軌跡。17km強しか歩いていない割には暑くて疲れた。この3連休はゴルフ、ウォーキング、ウォーキングと、健康的に過ごすことができたが、週明けに相当疲れを持ち越しそうだ。