飾磨~姫路(3社沿線クイズ&スタンプラリー⑩)

2018年2月4日(日)


昨日に引き続き、近鉄・阪神・山陽の3社沿線クイズ&スタンプラリー。今日は最西端のコース、姫路の銀の馬車道を歩くもの。今回設定の10コースは定番のウォーキングルートが多く、この道も何度も歩いているのだが、不思議なもので歩くたびに新たな出会いがあることが多い。



山陽電車の飾磨駅からスタート。左右が神戸~姫路の本線、中央が網干線になる。



まずは飾磨駅の東を流れる野田川に沿って海に向かう。川と海の境目って、どうやって決まっているのか、よく判らない。ここでも、まだ海までしばらくの距離があるところで、役所の管理境界が設定されている。



東南海地震発生時には、124分後に高さ50cmの津波が襲ってくるとの警告看板がある。気のせいかもしれないが、この種の看板は、比較的時間的余裕があって、津波高さが低いところほど、しっかりと表示されているように思える。津波に対する楽観的な見方を戒めるためだろうか。



生野銀山から産出された銀を飾磨港まで運ぶため、明治初期に49kmもの馬車専用道が建設されたそうだ。日本初の高速産業道路とも呼ばれる銀の馬車道の終点がこのレンガ造りの物揚場。しかし、馬車道の跡形もなく、説明板ひとつ見当たらない・・・。



付近には銀を積みだした場所かと思われるような濠が見られるが、それも定かではない。



「魚屋堀跡、志士上陸地」の石碑がポツンと立っているが、志士って誰のことか何の説明もない・・・。調べてみると、平野国臣らが、天誅組に呼応して生野で反乱を起こした際のことらしい。



飾磨港までやってきた。船の周囲に多数のタイヤを吊り下げた砂利船やタグボートなどが並んでいる。このタイヤって、救命浮輪の代わりだと思っている人が少なくない。実際は、岸壁や他の船との衝突の衝撃を和らげるバンパーみたいなもんだ。



浜の宮天満宮。神戸から姫路にかけての沿岸部には、菅原道真の大宰府左遷に関連するのか天満宮が多い。



激しい祭礼で有名な播磨地区だが、浜の宮天満宮の秋祭は、24人の練り子が1トン以上もあるという屋台を両腕でどれだけ高く差し上げることかを競う「台場差し」で有名。「命を賭けた荒業を目撃せよ!」とは、格闘技のコピーのようだ。



舟運のためだろうか、姫路沿岸部では、川と川の間をつなぐ水路がいくつも見られる。船場川と野田川を繋ぐ水路には、太鼓橋が見られる。船が橋の下を通過するためと瞬間思ったが、車が走る橋は普通の平坦な橋だった・・・。



恵美酒宮天満宮。もともと戎様をお祀りしていたところに、地域に菅原道真ファンが多く、天満宮も勧請したということで、何だか2つの神社が合体したような名前になっている。



恵美酒宮天満宮も、秋の大祭が賑やかに繰り広げられるところで、台場の練り場には、「片葉の葦」の石碑に覆いかぶさるように常設の櫓が立っている。片葉の葦って、珍しいものらしく、いろいろな伝承があるものなんだけど、碑はありものの葦など見られない・・・。



銀の馬車道を北へ、再び山陽電車飾磨駅付近に戻ってきた。山陽電車の車庫があるんだけど、山陽だけではなく、オレンジ色の阪神の車両も格納されている。相互乗り入れしている関係上、車庫も融通しているようだ。



銀の馬車道って、最近になって随分PRしているけど、このあたりでは飾磨街道という名前の方が馴染みがある。



まあ、旧街道といっても、それと知らなければ、普通の道。それでも、少しではあるものの、旧街道を彷彿とさせるような家屋も見られる。



亀山御坊本徳寺に立ち寄る。正門を入ったところに、目隠し塀とも呼ばれる一文字塀がある。大通りに面した大寺院では、通りを行く人達が、いちいち下馬などをして拝礼することを省略するために造られたものだと、貝塚御坊願泉寺で話を聞いたことがある。いずれも西本願寺系の大寺院だけに共通点があるようだ。



境内を散策していると、突如午後4時を告げる鐘が鳴りだしたので、鐘楼に行ってみたが無人。鐘は自動化されたものだった。大阪の釣鐘町で見たのと同じ仕掛けだ。



あまり面白味を感じない真っすぐな道をひたすら姫路駅に向かって歩く。つい、姫路を代表する酒造メーカー、灘菊に立ち寄ることさえ失念してしまった。




銀の馬車道って、総距離約50km。2日あれば完歩できなくもないと思いつつ、歩き慣れた飾磨街道の退屈さもあってか、ウォーキングの万年候補に留まっている。


JR姫路駅の真向かいにある山陽姫路駅に到着。駅は山陽百貨店のなかにある。



百貨店といえば、創業111年の老舗ヤマトヤシキが今月いっぱいで閉店するという。時代の流れとはいえ、かつて姫路に住んでいた者としては、感慨もひとしおだ。



本日の歩行軌跡。飾磨近辺を除いては、ひたすら真っすぐ北へ7kmほど歩いたことになる。